真夜中のラヂオ
 

恐怖



「ただいま〜」
 ねえちゃんの声と一緒に遠ざかっていく車の音が聞こえる。それが氷室先生の車だってことはもうわかってる。最近よくねえちゃんと先生が出かけるところを見るからだ。
「おかえり」
 珍しく着飾ったねえちゃんが、スカートのしわも気にせずオレが座ってるソファの隣にどすんと腰かけた。カバンからのぞいて見えるパンフレットは、テレビのCMで見たホラー映画のものだった。
「ねえちゃん、怖がりなくせしてホラー映画かよ」
「だって……せっかく先生が誘ってくれたから」
 リビングのドアがガチャンと開いた。
「わあっ!!」
「……お父さんだよ、ねえちゃん」
 お父さんも驚いた顔して、そのまま奥の部屋へ入っていった。
「お、驚かさないでよ尽!!」
「誰もそんなことしてないだろ……しっかりしろよ、ねえちゃん」
「そ、そっか、ゴメン」
 はあ、と大げさため息をつく。いつもだった。怖いもの見たさでテレビの心霊番組や雑誌の心霊特集なんかをじっくり見ては、夜に眠れなくなるらしい。今回はよっぽど怖い映画だったのか、遅くまで部屋に電気がついていたみたいだった。朝ねえちゃんの目は真っ赤になってた。こんな日が二、三日くらい続いた。
 しかし、高校生になってもホラー映画が怖くて眠れない……なんてさ。まったく、世話がやけるんだから。


「氷室先生!!」
「君は……初等部の尽くんといったか」
「はい。うちの姉のことで話があります」
「か、彼女の!?」
 先生は挙動不審に目を泳がせた。べつに放課後の誰もいない中庭でオレたちの話を聞いている奴なんかいないと思うけど。
「単刀直入にいいますけど、うちの姉をホラー映画に誘わないでください」
 眉を寄せてまだわからないって顔してる。先生のくせしてねえちゃんが怖がりだってこと知らないのかよ?
「毎回ビクビクしながら帰ってくるんです。しかも小さな物音にだって反応するし……。これってホラー映画のせいでしょ?」
「う、……うむ。いや、しかし待ちなさい。私は彼女の恐怖を克服させようと協力しているつもりだ。なにも無闇に怖がらせようとしているわけではない」
「でも実際問題ぜんぜん解決してないし、ねえちゃんは毎日ろくに夜も眠れないくらいなんです」
「そうだったのか……!?」
 しばらく顎に手を当てて考えてた。どうやら思い当たることがあるみたいだ。まあどうせねえちゃんが授業中に居眠りしてたってくらいだろうけど。
「氷室先生、恐怖を克服する前にねえちゃんがおかしくなっちゃうよ!」
「……そうか。それはすまないことをした」
 最後の一言が効いたみたいで氷室先生は少し落ちこんでるようだったけど、ねえちゃんがあんなになるよりずっとマシだ。オレは氷室先生のもうホラー映画には誘わないという言葉を聞いて、満足しながら家に帰った。


 その次の次の週の日曜日だった。ねえちゃんが朝からばたばた忙しそうに洗面所と部屋を往復してた。
「ねえちゃん……もしかして、デートか?」
「まぁね」
 はぐらかすように答えると、うきうきして出かけていった。でも相手が誰かくらいはわかった。家の近くで氷室先生の車のエンジン音がしたからバレバレだよ、ねえちゃん。
 でも、まあホラー映画じゃないことは確かだし、大丈夫だろ今日は。まあ、あの氷室先生とねえちゃんがそろって恋愛映画みるなんて想像もつかないけどね。

 そろそろ帰ってくる時間だ。落ちつかなくてリビングのソファに寝転がって雑誌を読んでいた。
「ただいま〜」
 朝出かけたときと同じくらいのうかれた声だった。またカバンからはみ出てるパンフレットらしきものをちらりと見ると、ホラー映画の頂点と絶賛されてるくらい評判のタイトルが書かれていた。
「ま、まさかねえちゃん。またホラー映画観に行ったのか!?」
「うん……でも、大丈夫だよもう」
 あんなに怖がってたねえちゃんが、あっけらかんと答えた。もちろん長い付き合いだからウソや強がりなんかじゃないってすぐ分かる。
「何で?」
「ないしょ」
 なんか余裕しゃくしゃくって感じだ。
「ちぇー……ねえちゃんのケチ」
 ほっとした気持ちがほとんどだけど、なんとなく面白くない気がして胸のあたりにヘンなものが引っかかったような感じだ。別にねえちゃんが怖がらなくなったのがつまんないとか、そんなんじゃなくて。でもそんなこと考えると頭まで痛くなってきたからやめた。どっちみち今日は安心してゆっくり寝られるんだからいいや。



 布団に入ったときようやく気がついた。もしかしてねえちゃんのあれが氷室先生が言っていた“恐怖の克服”ってやつなのかな。だとしたら一体どんな手を使ったんだろ?

(2003年3月1日) 

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