真夜中のラヂオ
 





 視界一杯に大きな空と海と小さな家々が広がる。学校を出たこの風景は毎日見なれたものだったが、夕日に染まった不思議な色合いが少しだけ特別に見えた。下校時間からずれいているからか、人もまばらで少し寂しいくらいだ。尽は目を細めて沈みかけの太陽を見ると歩き出した。
 学校から続いている長い坂道から住宅街に差しかかったところで、姉に会った。大学からの帰りらしい。カバンを重たそうに肩にかけ、幾分か疲れた表情をしていた。
「ねえちゃん、カバン持ってやろうか?」
「ううん、大丈夫……。今日は帰り、早いんだ」
「まあね、掃除当番しかなかったしさ」
「そっか」
 姉はそれきり黙ってしまった。いつもならもっとしゃべるはずが、やけに静かだ。
 高校時代から変わらない丈の髪が揺れて時折肩にかかる。よく見ると目の下にクマができていた。昨日、遅くまで部屋の明りが灯っていたことを思い出す。いよいよレポートに追われる季節が来たようだ。ため息をついて姉と同じく前をぼんやりと見た。
 ふと視線を下に落とすと、長い影が伸びていた。
 それは姉と自分の影だった。
 昔、いら立ちを胸に抱き、くやしさをかみしめながら眺めた影とは違っていた。姉より小さかった自分の影は、姉を大きく追い越すまでなっていた。歩幅だってずっと広くなった。
「何にやついてるの」
「え? いや。別に」
「別にって顔じゃないでしょ」
 正直に言ったら絶対笑われる。そんなこと、と言われてしまうだろう。こんな些細なことで喜ぶなんて馬鹿ばかしいって思うかもしれない。
 でも、少しだけ白状したい気分だった。
「足がさ。ほら」
 尽が影を指差すと、つられて姉も影を見て立ち止まる。まだ意味が分からないようで首を傾げるばかりだ。尽が足を振り上げて大きく一歩、二歩と踏み出し後ろを振り返ると姉の表情はパッと変わった。
「あんたの方が足が長いっていうの? もうっ!」
「へへっ」
「そんなこと当たり前でしょ! わたしより尽のほうが背が高いんだから」
 姉の足取りが速くなった。早足どころか駆け足だ。尽に追いつくどころか、あっという間に追い越していった。
「ねえちゃん、どこまで行く気だよ」
「家まで!」
「ウソだろ!?」
 もしかしたら、このまま走り続けるのではないかと思われた姉の足は50メートルほどであっさり止まった。尽が追いつくと、ぜいぜい大きく呼吸しながらしゃがみこんでいた。
「無理するなよな、まったく」
「いいじゃない……たまには」
 すっくと立ち上がって姉は何事もなかったかのように歩き始めた。不自然なほど等間隔の歩み、大きく振り上げられる手足。自然と笑いがこみ上げてくる。しかしそんなことはちらりとも見せないように、いつもの口調で言った。
「ムキになるとこなんて、ねえちゃんもまだまだガキだよな」
「足が長いってうれしそうに自慢したのはどこの誰だっけ?」
 一瞬言葉に詰まる。姉はいつ返事がくるのかとうかがうように尽を見た。二度まばたきして目をそらし、それでもまだ気になるのか尽の顔へと視線を戻した。
 言い返すかわりに尽は笑った。

(2003年11月15日) 


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