真夜中のラヂオ

オレンジ



「うわぁ、尽……38度5分もあるよ」
 そんなこと聞いたら余計に熱がでる気がする。ねえちゃんは体温計をしまうと、オレの布団をかぶせて2、3回優しく叩いた。
「ゆっくり寝てなさい。お昼ご飯はおかゆつくってあげるから」
「ん」
 頭がぼうっとして、手足を動かすのすら面倒くさい。目とちょっとの声だけで答えると、ねえちゃんは微笑んだ。きっとオレが風邪で大人しいからたまには静かでいい、ぐらい思ってるのかもしれない。
 風邪をひいてもロクなことがない。引いている真っ最中の今もそう思う。けど、ひとつだけうれしかったことがある。ねえちゃんが葉月よりオレを選んだ、ということだ。日曜日の今日出かける約束を葉月としていた。けど、お父さんもお母さんも大事な用で出かけなくちゃいけないからってねえちゃんが葉月に行けないと電話を入れた。わりと心配性のねえちゃんだから別にどうってことないかもしれない。それでも、オレにとってこれはちょっとしたポイントなんだ。
  まあ、出かけるつもりだった葉月にはちょっと悪いと思うけどね……。

 うとうとしかけていたら、玄関のインターホンが鳴った。新聞の勧誘とかだったらねえちゃん大丈夫かな、断るの下手だからなあ、と心配してると聞きなれた声がした。葉月だ。
 なんだよ、デートが中止になったからって家に場所を移しただけかよ! 
 ねえちゃんのうれしそうな声が聞こえて、オレはがっかりした。これならさっさとどこへでも出かけてくれたほうがずっといいのに。
「尽、起きてる……?」
 遠慮がちに部屋のドアが開けられた。ねえちゃんの後ろには葉月がぼんやり立っていた。
「起きてるよ」
 むくれたまま答えると、思いもかけない言葉が返ってきた。
「葉月くんが尽のお見舞いに来てくれたよ」
「オレの?」
 まさか、なんで、嘘だろ、信じられない。なんで葉月がそんなことするんだ? オレのせいでせっかくのデートだってつぶれちゃったのに。 
「風邪だって聞いたから、見舞い……」
 のっそり入ってきて葉月はベッドの上に袋を置いた。中にはオレンジがいっぱい詰まっていた。
「これ、風邪の時に食べるとよく効く」
「あ、サンキュ」
 起き上がってオレンジを掴む。冷たい。それにいい匂いがする。葉月を見上げると頭をくしゃっと撫でられた。
「しっかり寝てろ……」
 いつも寝てる葉月が言うと何か説得力のある言葉みたいだった。
「うん」
 ま、今日はオレンジに免じて許してやるよ、ねえちゃんを。

 結局、葉月はすぐ帰ってしまった。ホントに見舞いだけだったんだ……。オレは拍子抜けしながら、ねえちゃんが作ってくれた卵がゆと葉月が持ってきてくれたオレンジを食べた。
「なあ、ねえちゃん」
「ん?」
「ごめんな、今日。葉月とデートあったのに」
「いいよ、別に。出かけても、なんか気になっちゃうし」
「でもさ」
「……もう、余計なこと心配しなくていいの! ゆっくりして風邪治しなさい」
「うん……」
 ねえちゃん、いつまでオレのねえちゃんなんだろう? こうやって風邪をひいたら側にいてくれるのは弟だからだろうけど、いつか……いつかねえちゃんがこの家を出て行ったら、そしたらもうオレは。
「尽?」
「なんでもないっ!」
 情けない、涙がでてきた。ねえちゃんに見られないように布団にしっかり潜りこんで目をぎゅっとつぶる。小さいため息の後、おかゆが入ってた鍋を片付ける音がして、しばらくするとぱたんと戸が閉められた。


 これは風邪のせいでヘンになってるだけなんだ。
 別にねえちゃんがどこへ行こうと、誰と付き合おうと、オレには全然関係ないんだ。
 だってオレは弟だから。

(2003年3月1日) 


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