真夜中のラヂオ

出会った記憶

 廊下から聞こえる喧騒とは無縁の図書室で、ノートに書きつけるシャープペンシルの音が響く。
 有沢は図書室の一角にある机に彼女と向かい合わせに座っていた。もちろん勉強をするために。
「あ〜あ、またテストかあ」
「もう、だらけてないで。勉強するんじゃなかったの?」
「それはそうだけど……。はあ。なんか勉強しても勉強しても、した分ほど効果がないっていうか」
「あなたはもう少し集中力を高めた方がいいと思うわ」
「う……」
 再び静かになった図書室のドアが開いた。彼女が髪をおもいきり振って、そちらのほうを見た。
「葉月くん」
 呼ばれたように、彼が有沢たちのいるテーブルまでやってくる。途中、好奇の視線が向けられるけれど彼はそれを気にしたふうもなかった。
「何、やってるんだ?」
「テスト勉強に決まってるでしょ? あと一週間しかないんだもん」
「そうか……がんばれ」
「ありがとう」
 そう言っている彼女の顔は複雑な笑みを浮かべていた。その気持ちはわからないでもない。なんといっても彼がさしたる勉強もせずに毎回一位を取ったといううわさとがあるし、彼女からそのうわさがほとんど正しいことを聞いていた。一度聞いたら忘れない記憶力など、受験生から見れば喉から手が出るほど欲しい能力の最たるものだろう。けれども、うらやんだところで自分がそうなるわけでもない。そう思う暇があれば英単語の一つでも覚えた方が賢明だ。
「いいなあ、葉月くんて」
「何がだ?」
「だって、すごく頭いいもん。一度覚えたら絶対忘れないし」
「別に……」
「あっ、じゃあわたしと初めて会ったとき、わたしが何て言ったか覚えてる?」
 このとき初めて彼は困惑した顔になった。忘れてしまったのかとも思ったが彼女に聞いた話を思い出した。試しに覚えてみてと頼んだら、教科書一冊、目の前で全て記憶したという人だ。もしかしたら何か別の理由で躊躇っているのかもしれない。彼の彼女を見る目が細まった。それは優しげであったが、切なく、何かつかめないものへ必死になって手を伸ばしているようにも見えた。
「……『あの、すみません先輩、わたし、慌ててたから……。』」
「すごい! ね、志穂さん、すごいね」
「それで、あなたは覚えていたの?」
「うっ……うーん、ちょっとだけ。先輩って間違えて言っちゃったこと」
「もう、出題者が忘れてどうするのよ」
「だって、葉月くんの方が確実に覚えてるから」
「それじゃあ最初から彼が答えられるってわかってたのね」
 頷いた彼女は嬉しそうで、それ以上言葉を重ねることはできなかった。有沢にはわからないものが彼と彼女の間にあるような気がした。

(2013年3月24日) 


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