真夜中のラヂオ

ふるさとに帰ろう


 小さな荷馬車がぎしぎしと音を立てる。御者の男がちらりと空をみやりながら手綱を引き寄せた。荷馬車が止まると、アイラは降り立った。
「ありがとう、おじさん!」
「なぁに、こっちも助かったよ。道中何に遭うかわからんからね。故郷に帰るにも、まだだいぶ遠いだろう。あんたも気をつけてな」
 気のよさそうな笑みを浮かべた男はゆっくり荷馬車をひいて離れていった。交易品をたっぷり乗せてこのままアムル平原を抜けてビュッデヒュッケ城まで行く という話だ。商売の自由地といわれても、いまだにアイラにはピンとこない。しかし、さびれていた城にどんどん人が集まってくるというのはそれだけ人をひき つけるものがあるのだろう。ビュデヒュッケ城というと気の弱そうな笑顔の城主を思い出す。クィーンは以前彼のことを「骨がある城主」と評していたが、アイ ラは戦いに不慣れで頼りない印象しか持てなかった。その後の印象も変わりない。少しはアイラから見ても「骨がある城主」になったのだろうか。村に戻ってか ら一度ビュッテヒュッケ城へ行ってみるのも悪くはない。おいしいメイミのランチも食べられると思ったら、まるで目の前にそのランチを置かれたみたいに唾が でてきて、一度ゴクリと飲み込み、ランチのことを頭の中から追い払った。
 気を取りなおしたようにアイラはぐるりと体を一回りさせると、大きく息を吸った。体の中を通りぬけていく風。頬を撫でる風。地平線まで生い茂る草の匂 い。胸をつく土のかおり。
 すべてが懐かしいものだった。幼い頃、体がくたくたになるまで駆けたアムル平原。初めてこの地を離れたときから辺りの様子はほとんど変わっていない。村 がどの方角か、村までどのくらい歩けばいいか。体と頭に染みついた記憶は失われることなくアイラを導いてくれた。
 村の復興はどれほど進んだのだろうか。村へ戻ったヒューゴたちと別れて数年。多くの苦しみ、憎しみ、悲しみを与えられた惨状からはずいぶんと立ち直って いるだろう。
 少し歩いたところで、ふと思い立ってひざまずき手を地面に押し当てた。ざらざらとした土の表面は、落ちかけた太陽に照らされ温もっていた。目を閉じ心を 落ち着かせて、静かに呼吸する。体の奥底でアイラは精霊を感じた。あたたかく優しく、いつもカラヤの民を見守っていてくれる精霊。帰りを喜ぶかのように精 霊はアイラを出迎えてくれた。手の平から大地の熱が伝わるように、精霊の歓迎にアイラの胸がじわりと熱くなった。
 また一段と精霊が反応した。何かが近づいてきたらしい。
 忌まわしいものではない。むしろ精霊は喜んでいるようだった。それを知って胸の鼓動が早まる。立ちあがり、あたりを見まわす。
 空と大地が二分された景色の間にグリフォンが現れた。その隣りにいる褐色の肌の青年を見つけたとたん、叫んだ。
「ヒューゴ!」
 アイラは飛ぶように駆けた。体の重みをまるで感じない。どこまでも走っていけそうだった。
 目の前へたどりつくまでヒューゴはぽかんと立ちつくしていた。別れたときよりも背が伸び、顔だちも大人びたものになったが、浮かべる表情はアイラの記憶 の中にあるヒューゴのものだった。
「どうしたんだ、アイラ? 傭兵隊に入ったって聞いたけど」
「うん。帰ってきた」
「そうか」
 母親によく似た鋭いまなじりをゆるませ、ヒューゴは微笑んだ。
「フーバー、元気だったか?」
 フーバーは小さく鳴いて答える。アイラに首元の白い毛をなでられ目を細めて喜んだ。
「ルシア族長はどうしてる? ジョー軍曹は元気か? ルースは? アンヌは? ソーダ屋さんは?」
 アイラは思いついただけ次々と質問をぶつける。少しだけ首をかしげてヒューゴは答えた。
「ソーダ屋はないけど、アンヌの店にソーダはいつも置いてあるよ。子供たちに人気のメニューになってる。」
「そうか! ああ、早く飲みたいなぁソーダ」
 アイラの喉がごくりと鳴る。ソーダと聞いただけで、最後にカレリアで飲んだソーダの味が舌の上によみがえってくる。
「ルースは相変わらず元気だし、子供たちの面倒をよくみてくれてるよ」
 ヒューゴが歩きだすと、フーバーもゆっくり後をついていく。アイラはソーダの話を聞いてから、体がうずうずして落ち着かない。
「軍曹は、もうダッククランに戻ったんだ。おれの子守りも卒業だってさ。元気にしてるよ。先月も村に行って軍曹と軍曹の奥さんと子供にも会ってきたんだ」
「へぇ! あたしも会ってみたい。ジョー軍曹に子供がいたなんて知らなかったな」
「ははは、おれも。まぁ、今度たずねてみるといいよ」
 アイラは軍曹に妻子がいたという話がまだ信じられなく、しきりと頭をひねっている。羽毛とダッククラン製の服に包まれた軍曹は、アイラの小さいころから あまり変わっていなかったように思える。軍曹以外のダックもリザードも知っているが、人間から見ればどちらも成人に近づいてしまえば年齢がわかりにくい。
 アイラにとってジョー軍曹は昔も今も変わらない姿で思い出される。大きなお腹にたくさんの勇気を詰め、磨き上げられ光を誇らしげに反射するダックハル バードを持つ熟練のダッククランの戦士。
「それからルシア族長は……デュナン国に行ったんだ」
「えっ、じゃあカラヤを留守にしてるのか?」
「ああ、実をいうとおれが今の族長なんだ。デュナンに出立する前に族長の座を譲り受けた」
「ええーっ! そうなのか。ヒューゴがかぁ。へぇー」 
「おれとしては、もしなるにしてももう少し後だと思っていたんだけどね」
 アイラは珍しそうに、上から下へと無遠慮にヒューゴを眺めた。アイラとそうはかわらなかった背はずっと高くなった。体つきもカラヤの戦士にふさわしく、 たくましいものになっていた。狩りでつけたのか、戦でつけたのかはわからないが傷が増えていた。よく見ると顔にもどことなく族長としての風格の片鱗がにじ みでている。
 じろじろと見られて居心地の悪くなったヒューゴは、族長になってから心のどこかに抱えていた小さな疑問を口に出してしまった。
「おれが族長って、おかしいか?」
 ヒューゴは神妙な顔つきでそう聞いた。首を振ってアイラがあっけらかんと答える。
「ヒューゴは炎の英雄だろ。誰もが納得するはずだ。……そうか、おめでとう!」
 突然足をとめたアイラに、ヒューゴは振りかえる。真っ直ぐに目を向け射抜くような力強さにヒューゴの身が自然とひきしまる。
「ヒューゴ族長、精霊がおまえを祝福している。ヒューゴの周りにいる精霊は喜んでるよ。それって精霊に好かれているってことだ。カラヤはいい族長を得た よ」
 言われてヒューゴは周囲を見まわし、反応が遅れて一瞬戸惑ったような顔をした。ヒューゴは精霊の存在をまじない師やアイラのように感じられず、見えるこ ともない。だが、精霊はいつもヒューゴの側にいるのだ。アイラが言ったことを思い出すと、少し嬉しいような照れくさいような複雑な気分になる。
「ありがとう……アイラ」
 そういってヒューゴは満面の笑みを浮かべた。
「さぁ、村に帰ろう。もうすぐ夕飯だ」
「キュゥゥン!」
 フーバーは高くひと鳴きして、翼を広げて飛び立った。
 地平線の向こうに、村のかまどから立ちのぼる煙が空へ広がっていた。それは毎日の生活があり、カラヤの人々が生きているあかしだ。
 空を赤いカーテンが覆いはじめたグラスランドの大地をふたりはゆっくり歩きだした。

(2008年8月20日)

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